荼 毘 塚 2月11日
荼毘塚は、お釈迦様が荼毘にふされた場所。
お釈迦様は荼毘にふされた後、お釈迦様の入滅を聞いた諸方の国王や
有力者たちは、クシナガラに集まって、それを祭り拝むためにお釈迦様
の仏舎利を求めて、争いが起こった。
その時、ドーナというバラモンの仲裁により、仏舎利は八つに分配さ
れ、それぞれが持ち帰り、舎利塔を建てて、あつく祭ったといわれてい
る。
なおネパールのピラポラーワー(カピラ城付近)から1898年に、
舎利瓶が発見されている。
このことでお釈迦様が実在の人物であったことが証明された。
最 後 の 説 法
また、最後の説法地(クシナガラ)には、お釈迦様を祭ったお堂と僧
院跡がある。
ゴラクプールに戻る途中、チャティハウ村に寄る。
チャティハウ村は、仏跡巡拝でもなかなか立ち寄る人がいないので、
村の人々が総出で私達の訪問を迎えてくれた。
村の中は、インドの典型的な農村風景で、牛があっちこっちにいて、
牛の糞とわらを混ぜて四角い棒状にして乾かしてあり、乾いた後は燃料
にする。村の回りは田園風景が広がり。静かな農村である。
チ ュ ン ダ の 供 養
パーヴァー村(チャティハウ村は現在の地名)は、お釈迦様が、鍛冶
屋チュンダに、最後の供養を受けた所として有名。
パーヴァー村の郊外にマンゴ林があり、そこにお釈迦様を住まわされ、
説法を聞いたり、食事を用意して供養をしたという。
村から少し離れた場所にお釈迦様の供養のためのストゥパがある。
そして、バスにゆられゴラクプールに戻り、ホテルでスーツケースを
積んで、駅に向かう。
イ ン ド の テ ィ ー
駅の構内で列車を待つ間、インドの紅茶(ミルクティー)を飲んだ。
値段は2ルピー。日本の紅茶とは違い、色はだいぶ濃いめで、あったか
いヤギの乳を入れて飲んだ。牛の乳とは違い、ヤギの乳はわりあい淡白
で、これはたいへんおいしい。
夜 行 列 車
夕方、定刻通りに一等寝台列車に乗車。
私達が乗った一等寝台列車は、四人部屋の個室で、二段ベットが向か
い合いになっている。ファーストクラスとはいえ、何回も塗り重ねた老
朽車。
列車は日本の各駅停車位のスピードでガタガタとゆられバロニーに向
かった。
車中で夕食を済ませ、その後は、インドの列車や生活などいろいろの
話が飛び出し、楽しいひとときを過ごした。
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