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住職の部屋目次
・インド巡拝の旅 目次
はじめに
第一章 祇園精舎
第一章 舎 衛 城
第一章 ルンビニ
第一章 ホーリー祭
第一章 クシナガラ
第一章 荼 毘 塚
第一章 ナーランダ大学跡
第一章 王舎城と霊鷲山
第一章 ブダガヤ
第一章 日本の女子大生との話
第一章 サールナート
第一章 鹿 野 苑
第二章 ベナレス
第二章 ガンジス河の荼毘
第二章トイレ(2)チップ
第二章 アグラ(1)


 


インド巡拝の旅 第一章荼 毘 塚

荼 毘 塚                  2月11日

 荼毘塚は、お釈迦様が荼毘にふされた場所。
 お釈迦様は荼毘にふされた後、お釈迦様の入滅を聞いた諸方の国王や 有力者たちは、クシナガラに集まって、それを祭り拝むためにお釈迦様 の仏舎利を求めて、争いが起こった。
 その時、ドーナというバラモンの仲裁により、仏舎利は八つに分配さ れ、それぞれが持ち帰り、舎利塔を建てて、あつく祭ったといわれてい る。
 なおネパールのピラポラーワー(カピラ城付近)から1898年に、 舎利瓶が発見されている。
 このことでお釈迦様が実在の人物であったことが証明された。

 最 後 の 説 法

  また、最後の説法地(クシナガラ)には、お釈迦様を祭ったお堂と僧 院跡がある。
 ゴラクプールに戻る途中、チャティハウ村に寄る。
 チャティハウ村は、仏跡巡拝でもなかなか立ち寄る人がいないので、 村の人々が総出で私達の訪問を迎えてくれた。
 村の中は、インドの典型的な農村風景で、牛があっちこっちにいて、 牛の糞とわらを混ぜて四角い棒状にして乾かしてあり、乾いた後は燃料 にする。村の回りは田園風景が広がり。静かな農村である。

 チ ュ ン ダ の 供 養

 パーヴァー村(チャティハウ村は現在の地名)は、お釈迦様が、鍛冶 屋チュンダに、最後の供養を受けた所として有名。
 パーヴァー村の郊外にマンゴ林があり、そこにお釈迦様を住まわされ、 説法を聞いたり、食事を用意して供養をしたという。
 村から少し離れた場所にお釈迦様の供養のためのストゥパがある。
 そして、バスにゆられゴラクプールに戻り、ホテルでスーツケースを 積んで、駅に向かう。

イ ン ド の テ ィ ー

 駅の構内で列車を待つ間、インドの紅茶(ミルクティー)を飲んだ。 値段は2ルピー。日本の紅茶とは違い、色はだいぶ濃いめで、あったか いヤギの乳を入れて飲んだ。牛の乳とは違い、ヤギの乳はわりあい淡白 で、これはたいへんおいしい。

夜 行 列 車

 夕方、定刻通りに一等寝台列車に乗車。
 私達が乗った一等寝台列車は、四人部屋の個室で、二段ベットが向か い合いになっている。ファーストクラスとはいえ、何回も塗り重ねた老 朽車。
 列車は日本の各駅停車位のスピードでガタガタとゆられバロニーに向 かった。
 車中で夕食を済ませ、その後は、インドの列車や生活などいろいろの 話が飛び出し、楽しいひとときを過ごした。


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