関帝廟は中国の穂と人にとって、国内外を問わず物心両面の拠り所としての役割を果たしているようです。日本に於いては、江戸時代の宗教政策によって、仏教寺院内に関帝像が安置されていました。明治になって、来阪した華僑たちの厚い信仰心を集める事とになりました。
台湾では、国家が公的祭祀として上から建立したものと、大陸からの移住民が結束の要として、郷土から分祀したり、地域の住民が地域の守護神として参詣したものとに分けられます。それぞれに個別の由緒をもち、信仰の程度もさまざまになっています。