台湾の関帝廟は、清代には官営と私設の二種に分けられていました。官営の関帝廟は、祭官が主祭し、儒教寺廟とみなされました。私設のものは、在地有力者の紳士層が主祭するため、道教祠廟とされました。台湾を代表する台南関帝廟は、明末鄭成功一族の創建になります。清の領土となって以降、康煕29年(1690)には後殿が修築されました。その後数回の改修を繰り返し、乾隆51年(1786)「林爽文の乱」の際には、関帝の加護により乱を平定出来たとの台湾知事の主唱で乾隆54年に改修されました。雍正5年(1727)以降は祀典に列せられ、公式祭礼が営まれるこことなりました。
関帝廟の祭儀は、春秋の仲月(2月8日)上戌の日、及び5月13日関帝誕生日を以て挙行。とくに生誕祭には、桃園結義の故事に因み、多くの人々が集まり互いに義兄弟の盟を交わしたといわれています。 |